震災の日



関西のひと以外にはなじみが薄いかもしれませんが、今日は阪神淡路大震災のあった日です。もう12年ですが、揺れていた瞬間の恐怖の記憶(震度7の地域でした)や、その後苦労したこと、たくさんの方に助けてもらったことはとてもとても忘れることができません。
以下の文章は2年前の震災の日に書いてミクシにアップしていたものですが、はてなのほうしか見ていないお友達にも見てもらえたらと思って掲載しました。あくまでも2年前の私の目線の震災の日のきもちです。


揺れが一通り治まって、真っ暗な中父親の自分を呼ぶ声が聞こえた時の安堵感は一生忘れないと思う。
家の外に出て惨状を見た時の衝撃も、一晩中鳴り響いてた救急車の音に怯えて全然寝れなかったことも。
当時は父親と二人で住んでいて、普段は早い時間に仕事に行く父親のたまの休みの日でした。そして普段ならあの時間の少し後にはお風呂に入って、お弁当の用意をしてた。

もしあの時いつもどおり家に一人だったら、と思うととてもこわいし、本当にあの日のあの時間に地震が起きたから自分は助かったと思う。

うちは地震後の火災はなかったものの、避難中に放火されてしまって、持ち出していなかった小さい時の写真は殆ど焼けてしまった。今は親戚から譲ってもらったものが数点あるだけでそれは少し淋しいなと思う。あの後は妙に厭世的になってしまって、いろんなものを処分したり壊したりした記憶がある。

あと覚えてるのは、避難所にいくのがなんとなく嫌で何日か半壊(後に全壊指定)の家で過ごしたこと、西宮から宝塚の高校まで自転車で通ったこと(ひとつきくらい電車が不通だった)、水道の開通も遅く、開放されてた田んぼの用水路の水を汲みに行ったこと、被害の小さい友達の家で洗濯をさせてもらったこと、仮住まいにはお風呂がなくて半年くらい銭湯通いしたこと、仮設住宅は本当に簡単な作りですごく寒かったこと。

10年たって、あの時と同じ土地で生活してるんだけど、このあたりは本当に変わったと思う。
写真は地震後に私が近所で撮ったものなんだけど、今私が住んでるところを知ってるひとが見たらびっくりするんじゃないかな。


写真に写っている犬も、一緒に住んでいた猫ももういなくなってしまったよ。